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久しぶりのプレゼンター!
さぁ、今日も朝から千葉の某校でコンペのプレゼンだ。
今日のプレゼンには新しい手法も取り入れる。
MJは現状維持が大嫌い。
『No challenge, No success!』
私自身は久しぶりのプレゼンターだ。
やったります!
熱く頑張ろう!
暑中見舞い
地元に帰ってまいりました。
二三日前から目尻がひび割れみたいな感じで炎症を起こし、今朝起きたら右目が開かないぐらいひどくなってた。
午前中のコンペ・プレゼンテーションでもコピーを朗読するのにも苦労するぐらい。
抗菌目薬打ったりしてるけど、ちとヤバい感じ。
あ、話は変わりますが写真は今年の弊社の暑中見舞いハガキです。
デザインを社内の若手デザイナー3人に考えさせて、社内コンペを実施した結果、見事新人デザイナー・岡野のデザインが採択されました。
なかなか面白いよ♪
やるじゃん、岡野。
このようにMJはいつも遊び心を持っていなきゃあきません。
ということで8月10日(日)から17日(日)までの8日間、MONOLITH Japan は夏期休暇を取らせていただきます。
宜しくお願い申し上げます。
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遥か遠い昔の話。
昨夜自宅に戻り、あらためて『あすなろ三三七拍子』第三話を観た。
荒川剛役の西田敏行さん(私がモデル)、段々味が出てきた(上から目線(>_<))。
それにしてもこの合宿最終日のマラソンのシーンはあかんわ。何度観ても当時を思い出して涙が止まらん。
実は私、一回生の夏合宿のマラソンで途中で泡噴いてぶっ倒れ、宿に運び込まれた。
で、当時私に好意を寄せてくれてたチアの同期の女の子が何を思ったか『願掛けする』とか言って先輩に無断で湖の周りを走りに行っちゃって大騒ぎになったことがあったんだよね。
俺は当時その子に何の感情もなかったので『余計なことしやがって』と腹立たしかったぐらいだった。
だけどその後結局は団に内緒でその子と付き合って、いっぱい泣かせて辛い思いもさせたっけ。
彼女は俺のことが大好きで、リーダー部のことも大好きで、まるで部のマネージャーのようだった。
毎朝俺のマンションに朝飯作りに来てくれて、味噌汁よそってから俺を起こしてくれるような子だった。
なのに当時の俺ときたら、入れ替わり立ち替わりいろんな女の子をマンションに引っ張り混んで、彼女が合鍵でドアを開けると俺は見知らぬ女の子と素っ裸で寝てる、みたいな。
そんな時に彼女は何も言わず、すっと帰って行く。
ひどい男。
いっぱい悲しい思いをさせて、さらにひどいことした。
それがきっかけで俺は女の子に優しくなった。
それまでは同期の奴等にも『岩井は人間じゃねぇよな。獣やんけ。』とまで言われるぐらい女の子に対してひどい男だった。
そんなことも遥か遠い昔の話。
彼女がいま幸せに過ごしていることを願って止みません。
遠藤関♪
【青春アルバム①】
【青春アルバム②】
一回生夏合宿②
上の写真は当時の一回生五人組。
左から、三年後の副団長・渡邉、団長・岩井、副団長・中野、リーダー部長・松本、この後退団する野見山。
私の学ランだけが長ラン(笑)。
ちなみに同期の就職先は渡邉→ダイエー、岩井→リクルート、中野→全日空、松本→ワコール。
応援団が暴力事件で解散するという悲惨な状況の中で、私以外の三人はまともに就活もできず、最初に企業訪問した会社ですんなり内定をもらい、そのまま就活を終えた。
ただし中野は留年が決まって、せっかく獲得した全日空からの内定は取り消された(^^;。
下の写真は同じ合宿で楽しそうに集合写真におさまる吹奏楽部とチアリーダー部の先輩方。
リーダー部にとっては地獄の一丁目だった合宿も、この人たちには楽しかったのかも。
ちなみに吹奏楽部同期の児島は、この後副団長となり、公務員試験に合格して京都市役所に勤めた。
今では京都府知事の筆頭秘書として頑張っている。
チアリーダー部同期の中西洋子ちゃんは、同じく副団長となり、今では野球部同期のイケメンキャプテン・中田の奥様となり、福岡で幸せに暮らしている。
二人の間を取り持ったのは私。
この写真から三年後にあんな事件が起きるなんて、この時はもちろん誰にも想像もつかなかったわけで…。
私の応援団時代の物語はアメブロ『嗚呼!華の応援団(全108話)』をお読み下さい。
※フジテレビ『あすなろ三三七拍子』絶賛放映中♪
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【青春アルバム③】
●二回生・春
上の写真は立教大学応援団同期の山口・大西とともに。
立教大学と同志社大学は同じミッション系大学で姉妹校である。
ちなみに同志社のマスコット・アトムは早稲田の福ちゃん・慶應のミッキーマウスとともに『日本三大マスコット』と呼ばれるが、そのアトムを立教大学にプレゼントし、両校にはそれぞれ『同志社アトム』・『立教アトム』なる応援歌が存在する。
大西は私に負けず劣らずの応援団馬鹿で、後に母校応援団のコーチを買って出たり、私の結婚式には羽織袴で司会をやってくれたりした。
下の写真はたしか二回生の春合宿の時のもの。
この頃になると応援団らしさに磨きがかかり(笑)、角度の入った色つき眼鏡をはめて河原町を闊歩していた。
同期の渡邉が「メンチ切られた」ことに端を発し某Y口組系暴力団の若手と大立ち回りを演じたのもこの頃。
全員が団バッチを外して懐に隠して突撃した。
何故か京大応援団の同期・武田も一緒に突撃!
後に武田は京都大学応援団の団長を経て日商岩井にいけしゃあしゃあと入社した。
私とは下宿が隣の部屋同士という縁もあったなぁ。
死ぬまでに一度会いたいものだ…。
※私の応援団時代の物語はアメブロ『嗚呼!華の応援団(108話)』をお読み下さい。
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吉永小百合のミニ写真集がついてた♪
『とりちゃん会』
夏期宿泊研修会
宴会終了後
質問
『にしぶち飯店』
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存在価値
名古屋から箱根に入り、いったん京都に戻って今日は東京に向かっ
ております。
昨日今日と京都の私立学校にお邪魔していろんな話をお聞きしたが
、それぞれに危機感を持っていらっしゃるようだ。
月曜日の神奈川県私立学校の研修会も同様。
ひと昔前までとは私立学校の環境は様変わりした。
私たちがいまこういったことを仕事にしているのは必然だったんだ
ろうか。
25年前に脱サラして塾を出した時にはこんな時代が来るなんて想
像すらできなかった。
今や学習塾も私立学校も生き残りをかけてそれぞれが必死である。
端から見れば衰退産業と言われてもおかしくない。
少子化だけでなく、これだけ日本の教育が混沌としている中で学習
塾や私立学校にはそもそも存在価値がなければ座して死を待つのみ
だ。
存在価値があるだろうからこそ、皆もがいている。
この国の未来を託さざるを得ない子どもたちのために我々大人には
何ができるのか。
果たして私たちがやっていることが結果としてこの国の未来のため
になるのか。
最近はふとそんなことを考える。
ひとつだけ言えるのは、確かに学習塾も私立学校も生き残りをかけ
て必死なのだが、そもそも子どもに対して何らかの影響を与える大
人としてそれぞれがそれぞれの立場で日々一生懸命に葛藤している
ことだけは紛れもない事実だ。
その方法や理念に違いこそあれ、どの教育機関もその現場には子ど
もたちがいるのだから。
このままでは国家崩壊は待ったなしだ。
『教育は国家百年の計』である。
老人を見捨てることは良くないが、今より数倍、いや、数十倍の国
家予算を教育に回さなければこの国に未来はない!