最近、『業者』と呼ばれることの多いこと。
言われるのは学校ね。
学校に訪問して、いろいろと担当の先生にお話を聞いていると、ほとんどの先生が私やうちのメンバーを前にして普通に『業者』ということばを使う。
一般企業では考えられないことだ。
例えば弊社にとって印刷会社さんは『業者』なのかもしれない。
でも、私を始め弊社の社員が今日までに一度たりとも印刷会社さんのことを業者呼ばわりしたことはない。
もちろん当事者の前であろうがなかろうが。
そもそも『業者』って何なんだ?
印刷会社は印刷会社だし、我々は広告制作会社なはずだ。
それを当人を目の前にして『業者』と呼ぶことを失礼だと思わない感覚。
これを世間とずれていると言わずして何と言えばいいのか?
こういう教師たちが生徒に何を教えているんだろう。
何の悪気もなく使っているのはわかる。
でも、悪気がなかったらいいって話はちと違う。
気づかないうちに人を傷つけている彼等に、誰か社会を教えてやってほしい。
私のこのblogを学校関係者の方々が読んでくださっている可能性もあると思う。
ひょっとしたら弊社のクライアントや、これからお付き合いが始まるかもしれない学校の関係者が読まれてないとも限らない。
だけど敢えて書いちゃう。
ビジネスには当然のことながら、発注する側と受注する側がある。
だからといって発注会社が常に上から目線でいいのだろうか。
私は少なくとも弊社の制作物を印刷していただく印刷会社の方々に対して、口が裂けても『業者』なんて言えない。
確かに仕事上で厳しいことを言わせていただくこともあるが、基本的には印刷会社さんの存在があって初めて弊社は仕事ができるのだから、大切なパートナーだと思っている。
時には無理なお願いをすることもある。
正直に言えば支払いでご迷惑を掛けたことだって。
だからいつも感謝の気持ちを持ってお付き合いさせていただいているつもりだ。
弊社やモノリスが発注する先の会社さんには一社たりとて『業者』はいない。
考えてみればわかることだ。
『業者』ということばの持つ響きを。
誰だって『業者』と言われて気持ちのいい人間はいないだろう。
『業者』なんていうことばを当人の前で平然と使うのは、国や行政の世間知らずばかりだ。
こいつらは自分が偉いと勘違いしている。
こういう輩に限って、違う場所で違う立場で会った時には態度が豹変するんだ。
学校の先生だって同じだろう。
もしパンフレットを発注する印刷会社の担当営業マンが自分の学校に通う生徒の保護者だったら、突然態度を豹変するのだろうか?
そんなことは社会では往々にして起こり得ることだ。
だからこそ人間はどんな時も謙虚でなくてはならないんだと思う。
学校だって企業だって同じ。
いろいろな人や会社の協力があって初めて支えられているのだから。
もし弊社が広告制作会社でなかったなら、自社のパンフレットを制作するのにコンペを開催する可能性もある。
より内容の良いものを作ろうと考えた時に、複数の広告制作会社に声を掛けて、コンペを開催するのは決しておかしなことではない。
でも、もしも私がそうしたコンペを開催する立場になったなら…。
先ずは方法はどうであれ、声を掛けたすべての会社に丁重にお願いのことばを伝える。
そしてプレゼンテーションには十分な時間を取り、各会社に後悔のないように公平感を保ちながら誠意を持ってプレゼンを受ける。
発注会社を決定した後には残念ながら採択できなかった会社に対して最低限電話と手紙で丁重にお詫びする。
その際、採択できなかった理由を明確に伝える。
これだけのことは最低でもやるわな。
正直に言えば、高額ではないがコンペ参加に関して一律でプレゼン料を払うと思う。
だってさ、商売とは言え、各会社はそのプレゼンのために多くの時間と人件費を使って頑張るわけだから。
甘い?
甘くて結構。
これが私の仕事の『筋』だ。
本当はもっと正直に具体的なことを書きたいくらい。
でも、メンバーに集中攻撃受けそうなので、このあたりでやめておく。
先日、D校での入学案内パンフレットのコンペの時のこと。
プレゼンテーションを始めようとする私に対して、先方の副校長が席を立って、『本日は本校のためにわざわざありがとうございます。』とお礼を言われた。
とても素敵な姿勢に感動すると同時に、『この学校のために何らかお役に立ちたい。』と心から思った。
仕事って、そういうものじゃないのかな?
同じ仕事をするなら、こういう人のために、こういう会社のために、こういう学校のために頑張ろうって思うのは当たり前。
だから私たちは逆の立場になった時には、D校の副校長のようであらねばならない。
今日のblogは、私と弊社メンバーへの戒めとして。
長文、失礼しました。
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『業者』
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